中野むかし話

企画展「8時だョ! 全員集合」(杉並区郷土博物館分館)

2017/12/10(日)

若い衆はご存じないだろうが昔、「8時だョ! 全員集合」というお化け番組があった。土曜日の20時からというゴールデンタイムに、視聴率40~50%というトンデモナイ人気。PTA(これも死語か 笑)に毛嫌いされたが、我々子供は欠かさず見たもんじゃ。

出演するは、いかりや長介率いるザ・ドリフターズ。ドリフも、長さんも荒井注も亡くなり、加藤茶もボケ老人(?)。高木ブーがウクレレで気を吐いているか。志村けんよりも、その前の荒井注の時代の方が、自分はよく見ていたな。

そんなお化け番組は公開放送で、毎週首都圏のホールをあちこち使って収録していた。杉並公会堂(といっても、今の前のボロかった時代)で、昭和45年8月8日に収録があった。その時の資料などを中心とした企画展がひっそりと公開されている。

会場は「杉並区郷土博物館分館」。荻窪駅から教会通りを抜けて住宅地に入った一角。その昔、今は暗渠になっている桃園川の源流を探す散歩をした時に、最後に辿り着いた公園だ。確かに、杉並公会堂と近いので、その縁でしょうか。

今回の展示は入場無料。2階の展示室は大盛況。しまった、会期末ではなく、もっと早く来ればよかった。ドリフ系のBGMを聞きながら、会場へ。まずは入口のパネルで歴史の確認。「全員集合」は1969年10月から1985年9月まで放映していたと。我々の青春そのもの。

「全員集合」の番組前半の20分位は、舞台一杯に大きなセットを建ててのコント。展示室内壁面には、毎週の舞台デザインの設計図面の数々と実際の舞台写真。どうやって家自体が倒れたり、早替わりしたり、壁抜けしたりするのか。その仕掛けが、今明かされる。

展示室の一番奥には、杉並公会堂の当時の模様と、実際にどのように「全員集合」が放映されたのかの解説コーナ。そうか。前の杉並公会堂は、オーケストラピットとかもある本格的なホールだったのだな。

会場中央のモニタでは、「全員集合」のビデオ上映。見に来た人は皆、楽しそうに、懐かしそうに見入っている。自分も20分ほど、しっかり見てしまった。やっぱり、パワーがあったよね、ドリフ。

入口付近には「ひげダンス」の手書き楽譜なども展示。それ程大規模な展示ではなかったが、大満足。大量生産・大量消費の時代だったので、当時の資料というのは映像も紙も、余り残されていないらしい。いや~。懐かしかったぞ!

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帰りに教会通りまで戻ってきて、遅いランチ。教会通り中程にある「やしろ食堂」に入る。いかにもザ・昭和という雰囲気を色濃く残している店。こういう店があるのが、荻窪の奥の深い所。「ハンバーグ定食」を。昭和を味わい尽くした一日であった。。。

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久しぶりに焚火に参戦

2017/12/9(土)

最近すっかりご無沙汰で幽霊会員と化している異業種交流会。会社でも交流会でも影が薄いな、自分。どちらもフェイドアウト・モードかいな。年内最後の企画「焚火」があると聞いて、最後くらいは顔を出すかと重い腰をあげる。

異業種交流会の焚火というと、会場は大体「晴海埠頭」脇の公園だった。ところがあそこは、東京オリンピックの選手村作りで使えず。今回は「夢の島公園」で開催、と。そういえば15年以上前に、この辺りで会社のバーベキュー大会をやった朧げな記憶。

この公園にくると、まずは「第五福竜丸」にご挨拶。1954年にアメリカの水爆実験がビキニ環礁で行われた。その「死の灰」で被爆したマグロ漁船。流石に自分が生まれる前だが、子供の頃から話はよく聞いた。昔は、しっかり教育していたな。ゴジラの原点でもある。

さて、あとは焚火じゃ。「天狗舞」の濁り酒とチリの赤ワインなどを持参して参戦。昼から酒飲んでヘロヘロに酔っぱらう。帰りに居酒屋に寄り道しようと思ったが、無理であった。しかも、肝心の焚火の写真撮ってないし(涙)。。。

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「1968年-無数の問いの噴出の時代-」(国立歴史民俗博物館)

2017/12/3(日)

歴史民俗博物館で企画展示「1968年」をやっている。佐倉は遠い。でも、あの時代を振り返る貴重な機会。どのみち夕方は錦糸町へ行かねばならぬ。朝から出撃して、京成線を駆使して佐倉まで。駅から歩いて15分ほど。昔の佐倉城の城跡の一角に建っている。

ここに来たのは25年以上ぶりでは。あの当時は、会社の職場単位で「旅行」があった。その年は外房の何処かで泊まって宴会。帰りに、好事家の諸先輩が寄り道をするというので御供。佐倉まで移動して、川村美術館と歴博をみた朧げな記憶。

まず企画展示「1968年」から。第一部は「『平和と民主主義』・経済成長への問い」。戦後の奇跡の高度経済成長。しかし光がある所には陰がある。日本の復興の足掛かりとなったのは朝鮮戦争。そして1960年代半ば。日本は米軍の「戦争」の前線基地だった。

泥沼化するベトナム戦争に対して、日本でも反戦運動が盛り上がる。「ベ平連」(=「ベトナムに平和を!市民連合」)の誕生・活動が、展示資料を通じて「今」の我々に語りかけている。小田実、鶴見俊輔、「ティーチイン」「反戦フォークゲリラ」などなど。

そして更に展示は、高度経済成長のもとに切り捨てられようとしていた弱者にも光をあてる。今の成田空港を無理やり作る国の動きと、それに反対する「三里塚闘争」。企業のエゴから重大な健康被害を出した「水俣病」。

展示室が替わって第二部は「大学という場からの問い 全共闘運動の展開」。反戦運動とも共鳴しつつ、世界的な広がりをみせた学生運動。60年代後半の「あの時代」に、日大や東大をはじめとする各大学で、何が主張され何が起こったのか。今にも「問う」こと多し。

一方であの時代は、カウンターカルチャーが花開いた時代。映画、演劇、「ガロ」とかの漫画、週刊少年漫画誌などなども展示されている。当時の社会情勢の中で、大学生たちは何を考え、どういう生活をしていたのか。そして行きつく先の安田講堂・・・

自分は60年代後半は、まだ小学校の低学年。だから、テレビなどで見る事件や出来事、新宿などの街角で出会う若者たちの朧げな記憶しかない。それでも騒然とした、そして高度経済成長が終わるという歴史の潮目だけは感じていた。貴重な記録の企画展示!

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折角来たので、常設展示も。「原始・古代」はリニューアル中で閉鎖。「中世」から「現代」まで順番に見て行く。自分は地理の人で、歴史は苦手だったなぁ、と改めて実感。それでも歴博は「民俗」が組み込まれている展示が面白い。

企画展「国立公園 今昔」。お~、ペナントだ。若い衆は知らんだろうが、昔は観光に行ったら必ずこれを買ったもんじゃ(遠い目)。最後の「現代」も面白い。「団地」の部屋の展示に学校給食のソフト麺。昔のCMコーナは20分位見入ってしまった。最後は「ゴジラ」。

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いや~。20年以上前に来た時よりも、断然見応え十分。それだけ大人(オヤジ)になったという事だ。気が付けば14時過ぎ。予想外に、観るだけで3時間も使ってしまった。いかん。16時から錦糸町で次男の合唱を聴くのであった。走れメロス。

「トリフォニーホール」に16時直前に滑り込む。危ない所であった。合唱は大学の校歌とサークル歌から始まり、黒人霊歌にショスタコの合唱曲。寺山修司の詩に曲をつけたのも歌った。最後は外連味たっぷりに「東海道四谷怪談」。

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次男が何を好き好んで男声合唱サークルに入ったのかはいまだに謎。だが4年生なので、これで一応の区切り。もう聴けないか、と思うと寂しくもある。帰りに家族で、新宿の中華「唐苑酒楼」で晩飯。「干し豆腐の和え物」と「上海焼きそば」が好評であった。。。

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「キンダーブックの90年」展(印刷博物館)

2017/11/25(土)

勤労感謝の日の「いわさきちひろ美術館」に続いて、本日は「キンダーブック」。何だか絵本づいている。本当は今月、杉並区立郷土博物館で「石井桃子生誕110周年記念特別展」もやっていたのだが、そこまでは手がまわらず。

企画展示「キンダーブックの90年展」は印刷博物館で開催しとる。飯田橋駅から神田川沿い(首都高沿いでもある)に上流に進み、大曲で曲がった先。トッパンの事業所には1~2回仕事で来た事があるが、併設の印刷博物館に入るのは初めてだ。

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第Ⅰ部は「観察絵本キンダーブックの誕生」。まずは明治・大正時代の子供向け雑誌の展示。「家庭教育絵ばなし」「幼年画報」などなど。一昨日「ちひろ美術館」でみた「子供之友」「赤い鳥」もある。

そんな流れの中、今から90年前に「キンダーブック」創刊。幼稚園や保育園の補助教材的位置付けだったので「観察絵本」だし、園に直接配本された。そう。昔は、こういった直販系の雑誌、結構あったよね。我々の世代でも「こどものとも」とか学研系とか。

これが「キンダーブック」第一号の「お米の巻」かぁ。絵とカタカナ(戦後まではカタカナ表記だった)の組み合わせで、幼児にいろいろなテーマで読ませていくスタイル。あと、童謡とかが載っているのも特徴だよね。子供の頃の記憶よりも、もっとしっかり作ってある。

第Ⅱ部は「キンダーブックで見る昭和史」。戦争中や戦後の高度経済成長期の中で、子供たちがどういう生活をおくっていたのか分る。段々、自分も生まれた後の時代に。お~。この「テレビ」の号は、「ひょっこりひょうたん島」の人形劇の解説だ。懐かしい・・・

第Ⅲ部は「表現の変遷」という事で、約800人にものぼったという「キンダーブック」を支えた画家・写真家の中から代表者とその原画を展示。畠野圭右(滅茶苦茶、絵が上手い)から始まって、吉野廉三郎・武井武雄といった「キンダーブック」の屋台骨を支えた人達。

お~。一昨日見て涙した『ゴーシュ』の茂田井武だ。良いなぁ。70年代後半からは、写真も上手く組み合わせで使われるように。成る程。「キンダーブック」の歴史や、そこで活躍した人々を概観できる好展示であった。

この後、14時から講演会。「元編集長に聞く『キンダーブック』制作秘話」。元フレーベル館の登坂秀樹氏が、制作の裏話や作家たちの人物像を語る。何と2時間にも渡る講演会であったが、懐かしい時代の話ばかりだった。

創刊直後の昭和7年の関係作家たち大勢の記念写真。野口雨情もいれば西條八十もいる。中央は、「キンダーブック」の中心的人物のお茶大の倉橋惣三先生と。お茶大は日本の幼児教育に多大な貢献をしておる。

話の中心は「絵本が最も絵本らしかった時代」という昭和30年から50年代。まさに、我々の世代が子供だった頃なのだよ。いや~。まいったね。この時代の話は、今聞いておかないと永遠に失われてしまう。貴重な講演会であった。。。

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「キンダーブックの90年」展(印刷博物館):~2018.1.14(日)

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「日本の絵本100年の歩み」展(ちひろ美術館)

2017/11/23(木)

朝。結構な雨降りの中、上井草駅からトボトボと歩く怪しいオヤジ。10時の開館を目指して、「ちひろ美術館」へ。2番乗り。いわさきちひろ生誕100年記念の企画展「日本の絵本100年の歩み」を開催中。あわせて「ちひろの歩み」展も。

今から100年ほど前。1920年代に雑誌「子供之友」「赤い鳥」が創刊。大正デモクラシーの時代を背景に、絵本文化が花開いていく。最初の展示は竹久夢二の水彩画だ。鈴木三重吉の「赤い鳥」からは清水良雄の原画。ところが、戦争。言論統制の時代・・・

戦後の復興とともに、絵本文化も復活。岩波の「子供の本」に福音館「こどものとも」。お~。『セロひきのゴーシュ』だ。茂田井武の原画とともに、絵本も置いてある。この本をオフクロに読んでもらって、自分の読書人生は始まったようなものだ。半世紀も前の話(涙)。

『きかんしゃやえもん』(岡部冬彦)、『たろうのおでかけ』(堀内誠一)。そして勿論いわさきちひろ『みんなでしようよ』。更に何と『だるまちゃんとかみなりちゃん』(かこさとし)だ。この絵本、好きだったなぁ。この原画、欲しいよう・・・

宇野亜喜良が絵を描いて、盟友・今江祥智が文を書いた『あのこ』もある。そして大絵本ブームとなった70年代。『しろくまくんのほっとけーき』(わかやまけん)、『11ぴきのねことあほうどり』(馬場のぼる)、『ねずみくんのチョッキ』(上野紀子)。綺羅星のような作品群。

さらに2Fの第2展示室に移動。70年代後半以降。佐野洋子、和田誠、長新太(!)、安野光雅から五味太郎、いわむらかずおに行って、いとうひろし、武田美穂、新井良二まで。絵本界のオールスター揃い踏み。それぞれの原画は2枚程度なのだが、眼福。

展示室が替わって、今度は「ちひろの歩み」。いわさきちひろの原画、そしてピエゾグラフによるデジタル複写画。いわさきちひろの絵は、酸性紙に水彩で淡い絵。だから展示・保存が難しい。そこで、原画の良さを活かしたデジタル技術で構成した展示。イイね。

いや~。「絵本100年」と「いわさきちひろ」の両方を堪能してしまった。雨の中、わざわざ来た甲斐があった。雨もあがったようだ。帰りに上井草が誇るサンドウィッチ屋「カリーナ」で、「卵サンド」他を土産に買って帰路に。。。

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企画展「大正から昭和へ」(中野区立歴史民俗資料館)

2017/10/29(日)

「歴史民俗資料館」で、「大正から昭和へ」と題し、写真や地図を使って中野の変遷を見せる企画展示をやっている、と。行かないと。沼袋駅から北上して、新青梅街道沿いの一角。歩いて10分もかからない。

2階の展示室へ。「地図と写真で大正・昭和」「都市区への歩み」「関東大震災前後の話」「娯楽・繁華街」「名所・旧跡・文化財」の5つのコーナで展示。では、まずは地図と写真から拝見。こうやって見て行くと、あの場所は昔は何だったのかが良く判る。。

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おお。我らが母校、桃三の昔の木造校舎の写真。こちらは鍋横の雑貨店。今は亡き「江藤」の源流かな。中野駅北口、今のサンモール辺りの様子。終戦後の闇市。今の北口の飲み屋街は、闇市の雰囲気を色濃く残している。

地図を見ていると、中野駅南口の駅前団地の所は、昔は日本自動車会社の工場だったんだね。へ~。北口の映画館。昔は「中野大映劇場」。それが「武蔵野館」になったのが我々が子供の頃。その後バブルの頃にブティックホテルとミニシアターに。今はパチンコ屋だ。

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段々新しい時代。完成したアーケード。我々が子供の頃は、こんな感じだった。青梅街道に都電が走っていた。最後の花電車を見た、朧げな記憶。区役所は昔、南口の今の中野郵便局の所にあったんだよね。最近、中野区ではHPでこの辺りの写真を公開している。

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企画室の外廊下では別の企画展示「オリンピック前後の中野のようす」。念のために言っておくと、1964年の開催された、前の東京オリンピックね。中野駅の南側、北側の写真。我々が子供の頃、南口ロータリィは正にこんな感じ。映画宣伝の大看板があったりね。

そうか。あの時、聖火は開会式の前日に青梅街道を走っているのか。中野天神前で杉並区側のランナーから手渡され、成子天神前で新宿区のランナーへ。貴重な記録写真。自分はリアルに見ていないなぁ。開会式のブルーインパルスの五輪の輪は記憶にあるけど。

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なかなか貴重な企画展示であった。思わず2時間近く見入ってしまった。こういった企画展や、ホームページなどを使っての昔の資料の積極公開。今後も期待してまっせ。。。

企画展「大正から昭和へ」(中野区歴史民俗資料館):~2017.11.12(日)

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本郷界隈を徘徊

2017/10/14(土)

東京大学の教室でロックが流れる。こんな瞬間に立ち会えるとは・・・

天気悪し。天気が良ければ秩父宮に行って母校の応援と思っていたが回避。次善策として考えてあった東大での講義に参加しよう。御茶ノ水から歩いて本郷三丁目を目指す。11時半前に到着。少し早いが、まずは腹ごしらえですね。

前々から一度行ってみようと思っていた、焼きそば専門店「まるしょう」。無事にカウンタ席に収容された。初訪問なので、王道の「ソース焼きそば」に行くのが普通。ところがへそ曲がりのオヤジは「ナポリタン焼きそば」をオーダ。だって、「ナポリタン」好っきやねん。

待つこと暫し。熱々の重い鉄板皿に載って登場。では一口。これは美味しいなぁ。この自家製の太麺。どんどん箸が進む。でも、このレベルだと「ナポリタン」そのものだ。パスタと焼きそばの違いは何? 小麦粉の種類? 今度、焼きそば専門家に会ったら聞いてみよう。

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腹一杯。中盛にしたのだが、普通でも良かったか。さて。東大に行く前に、もう一か所寄りたい所があるのだよ。東大病院の裏手から、東大構内に入らずに大きく迂回していく。お~。これが「無縁坂」か。初めて来たな。

丁度、昨日の対談で森鴎外の『雁』の話を聞いたばかり。何か繋がっている感じ。でも、我々の世代では「無縁坂」というと、鴎外ではなく「グレープ」なんだが。何。今の若い衆は「グレープ」を知らない? さだまさしは知っている? う~む。「♪忍ぶ、不忍、無縁坂・・・」

「無縁坂」をおりきって方向を転じ、今度は緩やかな坂をダラダラと上って行く。こっちは「暗闇坂」というのか。この坂を上り切って、東大の弥生門に着く直前の右側。目指す「弥生美術館」に着いた。

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「弥生美術館」では「はいからさんが通る」展を開催中。「大正♡乙女らいふ×大和和気ワールド!」。あの1970年代中盤の伝説のコミック「はいからさんが通る」の原画などの展示である。展示は1~2階。まず1階から。お~。懐かしい。

ほほ~。女子学生の袴スタイルは1899年に女子高等師範学校(現・お茶の水大学)で始まった、と。1930年には、洋装に移行してセーラー服とかに代わるので、僅か30年くらいの時代だったんですね。女子学生用の自転車の実物展示も。

え。何で酒飲みオヤジが「はいからさん」を読んでいたかって。多分、妹の部屋に落ちていたのを勝手に読んだのであろう。あれ、読み始めるとハマるよね。展示はストーリーに沿って進んで行く。飲み屋で喧嘩して少尉が小倉に飛ばされる。そして、戦地に行って戦死。

ん。戦死? そうだっけ。続きは2階で、ですか。許婚の少尉を失って、働きに出るヒロイン。大正後期の職業婦人・モガ。そうだ、そうだ。出版社に働きに出て、そこで出会った男と結婚する事に。結婚式の当日に関東大震災。そして、奇跡のハッピーエンド・・・

原画を見ながら、段々ストーリィを思い出し、最後の方は殆ど涙ぐむ怪しげなオヤジ。いや~。久々に大和和気ワールドにどっぷりと漬かってしまった。11月に新作アニメ映画で公開される、と。絵がちと違う気がする。流石に、オヤジが見に行く訳にもいくまい。

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「はいからさんが通る」展(弥生美術館):~2017.12.24(日)

さて。本題の東大での講演会じゃ。開始時刻の14時には少し早い。東大構内を散歩。これが三四郎池ね。よく、大学構内に池が無防備にあるな。我らが母校なら、間違いなく誰かが飛び込むので埋められそうだ。現に馬場のロータリィも歌舞伎町も水がない(笑)。

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文学部の大教室での講演。お題は「ロック・ミュージックと現代思想」。講師はフランス現代哲学を研究している東大文学部の鈴木泉准教授。中年のロックオヤジのイメージそのもの。と思っていたら、自分より1歳年下か。へ~。これ、集英社の寄付講座なんだ。

1960年代後半に若い世代の意識変革に大きな影響を及ぼしたロック・ミュージック。フランスを震源地として知の最前線となった現代思想。この2つのムーヴメントは、同時代的に交わり影響を与え合ったのか・・・

連続テレビドラマ「ひよっこ」の時代。1966年にビートルズが来日し、「ツィッギー」が来日してミニスカートが大流行。この辺りがロックの大きな転換点であった。カウンターカルチャーが隆盛し、文化革命・政治革命がおこる。「パリ5月革命」から「安田講堂」。

ビートルズのアルバムジャケットの変遷を見せながら、曲のさわりを流す。東大の大教室でロック(笑)。『ラバーソール』『リボルバー』ときて『サージェントペパー』へ。この底流にある神秘主義・東洋思想への傾倒やサイケデリック・ロック。

サイケデリックの哲学は「知覚の拡張」と「現実の多次元化」。これをハックスリーやティモシー・リアリーはドラッグを使ってやろうとした。音楽はベルベット・アンダーグラウンド、ドアーズ、ジミヘン、ジェファーソン・エアプレイン、そしてグレイトフル・デッド。イイね。

一方、フランスの現代思想でジル・ドゥルーズの話。超越論的経験論は正に知覚の拡張をドラッグ抜きでやろう、というの話だし、反復の哲学「リトルネロ」は、ロックの「リフの美学」に繋がっている。そして「リズム・ビートの美学」。ドゥルーズを読んでないオヤジも頷く。

若い子と話すと「まだロックなんて聴いているんですか。あれは終わった音楽でしょ」と言われると。でも、ノスタルジーと言われようが、ロックは20世紀最大の文化だと言い切る。そうだ、そうだ。何か、その内ディスク・ユニオンとかで会いそうですね、先生(笑)。

あっという間の1時間半。この後30分延長して、司会(英米文学研究・翻訳家の柴田元幸だった。東大の特任教授やっているんだね)と2人で、会場からの質問を受けつつ対談。東大生(?)の質問も、面白い。

サイケデリックとかサマー・オブ・ラブ。この辺の時代の研究が、実は自分の主戦場。もう歳をとって来たし、もっとピッチを上げて頑張らないと。そうでないと、ただ酒飲んで昔のロックを聴いているだけのオヤジと思われるぞ。(事実、そうなんだが)。。。

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餃子の新しい店を訪問 中野「やまよし」

2017/9/27(水)

中野駅北口からブロードウェイに向かって伸びるアーケード「中野サンモール」。今の原型となるアーケードが出来たのが昭和33年というから、自分が生まれた頃には既にアーケード型の商店街だった。その後、何回か大規模改装。

あらためて歩きながら店を見て行くと、入口付近は携帯屋ばかりになってしまった。おや。その先の左側にあった眼鏡屋「メガネのサワノ」。先月、閉店してしまったのか。シャッターが下り、貼り紙が。

93年も営業していたと。殆ど昭和の初めか、大正末期からという事だ。その先の右側角の酒屋もシャッターが下りたまま。自分が子供の頃は、この通りは個人商店が軒を連ねた普通の商店街だった。若い衆には信じられないだろうが「蛇屋」まであったし。

それが今や、全国どこにでもあるナショナルチェーンのドラッグストアや飲食店ばかり。まぁシャッター商店街にならないだけマシか。それにしても寂しいぞ。サンモール中央の両側で頑張っている衣料品店は、今は代替わりして我々の同級生が社長。頑張れ・・・

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サンモールを歩いてブロードウェイに突き当たる所を右折。飲食店が立ち並ぶ白線通りを抜け、最初の角を左折。今や中野で、最も昭和の雰囲気を残している一角「新仲見世商店街」へ。ここに今年の7月に餃子屋「やまよし」がオープン。

1Fはカウンタ5席と厨房。2Fに少しテーブル席があるようだ。オープンした頃から気になっていたが、何時も大体満員。ドサ周りの予定がポッカリ空いた今日は、何とかカウンタの端に入れた。メニューを拝見。当たり前だが、何種類かの餃子と多少のツマミ。

ではウーロンハイをもらい、餃子は「ラムパクチー餃子」を。それと「蒸し鶏メンマ」をアテに。まず飲み物とメンマが到着。なかなか旨い。厨房では、注文に応じて、ドンドン餃子が焼かれていく。あれか。

来ました。たっぷりとパクチーが載った一品。では、まず餃子を一口。ほほ~。確かにみっちり詰まったラム肉の味。これは美味しいな。これにパクチーを組み合わせて、と。ワシワシと食べ進める。あっという間に完食。

ん~。でも次をどうしよう。更に違う餃子を一皿? でも一皿5個の餃子を二皿はどうか。かといって卵かけご飯とかに行ってもなぁ。大人数で来られる感じでもないし。意外と使い方の難しい店なのでは。まぁゼロ次会とかで寄る、という感じですかね。

外を見ると並んで待っている人も。結局、これにて終了。勘定は1,290円也。何でも、この店は予約の取れない肉料理店で有名な「肉山」がプロデュースしたとか。手軽に「肉山」の気分が味わえるところも、人気の一因か。

でもね。この場所は、前はジンギスカンの「神居古潭」という名店があった所なのだよ。あの偏屈なオヤジはどうしたのだろうか。焼き方とかで、色々言われたっけ(遠い目)。まだ、店舗2F部分の外看板は残っているな。

それに、この少し奥には中華料理「豊海屋」もある。目の前に餃子屋ができたら、影響もありそうだ。最近、顔を出していない。流石に今日、この後シラっと行く訳にもいくまい。近々、あらためて「豊海屋」に行かなければ。今日は、このまま帰りましょう。。。

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「週刊少年ジャンプ展」(森アーツセンターギャラリー)

2017/9/23(土)

「週刊少年ジャンプ」が創刊50周年を迎えた、と。「ジャンプ」の部数的な全盛期はバブル崩壊後の90年代半ば。伝説の600万部越えの時期。しかし、自分が一番「ジャンプ」を読んでいたのは70年代前半。小学校高学年の時。その後も一応、読んでるけどね。

そんな「ジャンプ」の企画展をやっている。六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリー。ここ、苦手なんだよね。高いし、あまり良い思い出がない。でも「ジャンプ」だし、しかもvol.1は「創刊から1980年代、伝説の時代」と言われては、行かざるを得まい。

交通費を節約するため、信濃町から歩いて六本木へ。ヒルズは遠くからでも目立つから、迷う心配もない。予定通り5分ほど前に着くと、もう券を販売している。低層棟の販売場でチケットを買い、エレベータで一気に52Fまで。これか。

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オープニング動画を見て、会場へ。ほ~。まずは永井豪「ハレンチ学園」ですか。スカートめくりとか、社会問題にまでなった「ジャンプ」の名物連載。いや、懐かしい。続いて本宮ひろ志「男一匹ガキ大将」。「ジャンプ」お得意の硬派路線のハシリですね。

「こち亀」「キャッツ・アイ」「キン肉マン」「北斗の拳」に「Dr.スランプ」。綺羅星の様に並ぶ80年代のヒット作の原画や関連グッズ。確かに大学生の頃とか、サークルのたまり場の喫茶店とかで、読んでいたな。そして鳥山明は「ドラゴンボール」へ行った、と。

でもね。自分の黄金時代は70年代前半なのだよ。お~。ある、ある。「トイレット博士」「ど根性ガエル」「侍ジャイアンツ」「アストロ球団」「荒野の少年イサム」に「包丁人味平」。どれも夢中で読んだ。「マジンガーZ」もこの時代だけど、展示はないのか。残念。

物凄く懐かしいマンガとの再会に涙する怪しげなオヤジ。「サーキットの狼」。スーパーカー・ブーム。これとか「コブラ」のお色気の路線も「ジャンプ」の持ち味だった。あとナンセンス・ギャグ路線もね。

高校・大学生以降は、一部のマンガを立ち読みで済ませてもいた。「リングにかけろ」ね。このスーパー・ブロウ(笑)。ここまでは読んだが、「聖闘士星矢」まではついて行けなかった。「ジョジョ」も始まったのは80年代後半か。

今回の展示とは関係ないが、90年代以降は子供たちと読んだな。「SLAM DUNK」から始まって「ワンピース」に至るまで。「週刊少年ジャンプ」とは随分長い付き合いだ。着かず離れずではあったが、創刊50年のほとんどの時代を共に過ごしてきている。

でも、これで十分。vol.2は見に来ないし、後は子供たち世代以降に任せよう。千葉に行ってブラック企業に就職したっきり、家に寄り付かない長男。千葉で相変わらず「ジャンプ」を立ち読みしているのだろうか。。。

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大人の社会科見学 サントリー武蔵野ビール工場

2017/9/22(土)

ユーミンの「中央フリーウェイ」。「中央フリーウェイ~。右に見える競馬場。左はビール工場~」。中央高速道路を東京方面から走って来た、府中辺りの光景を切り取った歌詞。今の若い衆は、ユーミンもこの歌も知らんかな・・・

「右手」の東京競馬場には何度も足を運んだことがある。しかし「左」のビール工場には行ったことがないぞ。最後の夏休みを使って、今日は大人の社会科見学。サントリー武蔵野ビール工場へ出撃じゃ。

歌にあるように車で移動する訳ではない。電車で府中本町駅へ。この街に来たら、まずは大國魂神社神社にお詣りしないとですね。前回来た時には結構な雨降りだった。今日は天気が持つか。

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そして、いよいよサントリー武蔵野ビール工場へ。府中本町駅から歩いて15分ほど。工場見学は久しぶり。小学校の時は京浜工業地帯の菓子工場と自動車工場にいったなぁ。菓子のお土産は嬉しかったけど、自動車はもらえずに下敷きだか鉛筆(笑)。遠い日・・・

お~。これか。本当に中央高速の脇だ。思ったより近代的。工場設立は1963年。自分とあまり変わらないな。ウェイティング・スペースにはサントリーの歴史を展示。伊集院静の日経の連載小説『琥珀の夢』そのままだ。ユーミンのサイン色紙もあるぞ!

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いよいよ見学コース。まず素材の説明。この工場は100%天然水を使用している、と。そして麦とホップ。麦は実物を何粒か食べさせてくれる。意外に旨い。ホップの香りも嗅ぐ。結構、きつい香辛料系なんですね。

これが仕込槽か。でかいタンクだ。ここで麦汁を作っている。実際にタンクをのぞき込んで、仕込みの状態を見せてくれる。そして次に発酵のための酵母タンク。これがないと、アルコールになりませんわな。

発酵が終わったばかりの若ビールを熟成させる貯酒。その昔の貯蔵タンクを使って通路を作ってある。そこを抜けると、ろ過工程を経てパッケージングへ。丁度、ラインが止まっている。うちの流通センターも見学する時に、必ず動いているとも限らんから。お互い様。

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最後にお待ちかね(笑)の試飲コーナ。まず「プレミアムモルツ」を一杯。作るところを見てきたばかりで、しかも作りたて。美味しいぞ。更に「プレモル 香るエール」に「マスターズドリーム」まで飲み比べできる。昼酒で酔っ払った。

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酔い覚ましに多摩川を散歩。こういう休日の使い方もありだな。。。

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