中野むかし話

コンサート「冨田勲 映像音楽の世界」(東京国際フォーラム)

2018/9/17(月)

作曲家・冨田勲のメモリアルコンサートがある、と。今回は特撮・アニメ・映画音楽の特集らしい。それも「昭和」の。亡くなる直前の初音ミクとかとの共演には興味がなかったが、「昭和」のなら聴きたい。行くべ。

一番安いA席はホールCの最上階。最後は階段を使う。ひいこら言いながら、何とか席に辿り着く。コンサートのスタートは15時だが、その前に「プレコンサート」が15分前に始まる。アナログシンセによる「オマージュ冨田勲」。そう。昔のシンセはこういう音だった(笑)。

そしてコンサートがスタート。フルオーケストラ(オーケストラ・トリプティーク。そう言えば、前に伊福部昭のコンサートを演ったのも、このオケだったな)での演奏でっせ。楽しみ、楽しみ。会場はジジババばかり。「昭和」だからね。

手塚治虫のアニメ音楽から。お~。「ジャングル大帝」だ。昭和の曲は合唱がポイントですな。壇上はジジイが目立つ不思議な合唱団。そして児童合唱団が入ってきて「ビッグⅩ」。作詞は谷川俊太郎。「や~」という掛け声が入るんだよね。早くも涙ぐむ怪しいオヤジ。

そして「リボンの騎士」。「僕の見る夢は 秘密だよ~」。何と歌うは原曲通り前川陽子。もう67歳くらいなはずだが、伸びやかな声は昔と一緒だ。いや~。参ったね。懐かしすぎる。

ここからNHKの作品群。まずマリンバを使って3人の演奏で奏でるは、誰もが知っているあの曲。「今日の料理」のテーマ曲。続いてオーケストラが演奏するのは、これまた超有名曲「新日本紀行」のテーマ。どちらも50年以上使われているんだから凄い。

大河ドラマの主題歌を3曲。第一回大河の「花の生涯」。そして「徳川家康」。滝田栄の家康ね。そして最後は「勝海舟」。これは中坊の時だったなぁ。今聴いても、モダン。だけれども昭和の音。流石は冨田勲、いい仕事してますね。

創作ダンスのための音楽「コムポジション 愛」。大妻嵐山高校のJKが出てきて、オーケストラ演奏に合わせて踊る。この曲がまた良かった。ここで15分間の休憩が入る。下手にグッズ販売コーナに行くと、また散在しそうだ。席でじっと待つ。

後半は、まず映画「ノストラダムスの大予言」の「滅亡のテーマ」「メインタイトル」「愛のテーマ」ほかを組曲形式で。本は大ヒットしていたけど、映画は覚えていない。でも美しいメロディー。作曲家・冨田勲を真骨頂ですね。シンセの機材トラブルでの演奏中断もご愛敬。

続いては、何と「キャプテンウルトラ」。「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の放映の狭間にテレビでやっていた、少ししょぼい(よく言えばキッチュ)な特撮モノ。主題歌を聴くのは何十年ぶりだろうか。もちろん歌えますが(笑)。「シュピーゲル、シュピーゲル~」。

大ラスは「マイティジャック」組曲。しかもオープニングシーン(あの基地から出撃して水面上に浮上して、更に空に飛ぶヤツね)他の映像を上映し、フルオーケストラで。いや~。好きだったなぁ「マイティジャック」。少し大人向け特撮。「サンダーバード」+「007」かな。

この主題歌だって歌えるぞ。「青い海に映える影 オー イッツ ザ マイティジャック~」。と演奏を聴きながら心の中で歌っていた。そしたらアンコールで、会場中で合唱することに。いや~。昭和のジジババは大喜び。

完全に昭和のオヤジは狙い撃ちされたコンサートであった。しかし悔いはなし。明日からは節約じゃ(なんか毎日「明日から」といってないか酒飲みオヤジ)。

Img_4525 Img_4527 Img_4532

帰りに「八重洲ブックセンター」に寄り道。随分久しく来ていなかった。開業40周年記念祭をやっている。記念キャラクターの「やえちゃん」には会えず、残念。。。

Img_4519 Img_4521 Img_4520 Img_4522

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「石井桃子展」(神奈川近代文学館)

2018/9/16(日)

石川町駅から「港の見える丘公園」まで、坂道をあがっていくデブオヤジが一人。ここをあがっていくのは随分久しぶりだ。以前より息がきれるようになった気がする。歳だな。この公園の奥にある「神奈川近代文学館」が目的地。

オフクロは石井桃子のシンパだったのだろう。子供の頃から随分、石井桃子の翻訳本や岩波少年文庫には世話になった。その石井桃子の没後10年の展示。杉並でもやっていたのだが、タイミングが合わずに見逃していた。横浜まで遠征。

ほほ~。浦和の生まれか。『ノンちゃん雲に乗る』の池は調神社なのかな。学生の頃から菊池寛のもとでアルバイト。その流れ(?)で文藝春秋に入る。出てくる人物が、錚々たるメンバー。吉野源三郎に永井龍男などなど。

犬養毅の家で『プー横丁にたった家』の原書と運命的に出会う。そして翻訳。そうか。我が家にあったのは、岩波の『くまのプーさん』と『プー横丁』の合本だったから、1962年出版。自分と同じ歳だ。あの本は我が家のどこかに、まだあるのかな。

『ドリトル先生』は井伏鱒二の訳だけど、下訳は石井桃子がやった、と。そして岩波少年文庫の創刊。『宝島』や『二人のロッテ』(ケストナー!)など5冊が、まず世に出た。石井桃子がいなければ、あの豊潤な物語の世界は日本に生まれていなかった。

あ。エリナー・ファージョンの全集だ。これ好きだったなぁ。『ムギと王さま』とかね。そして『ピーターラビット』に『うさこちゃん』(若い人は結び付かないかもしれないがブルーナ)。そして勿論『ちいさいおうち』。あらためて振り返ると、凄い仕事ばかり。

そうだよなぁ。こういう児童文学の世界に憧れて、少しでも関連する仕事がやりたいと思って今の会社を選んだのであった。どこで道を間違えて、飲んだくれのデブオヤジになってしまったのか・・・

Img_4501 Img_4502 Img_4503_2 Img_4504

また坂を降りて行く体力も気力もない。丁度、「赤いくつ」(=観光バス)が来たので、赤レンガ倉庫まで連れていってもらう。ここで今回の3連休は「パンのフェス」を開催中。時間が遅かったので入場行列はそれ程でもなかった。でも人気店には、まだ行列が。

家の土産に食パンでも買うか。と思ったが、菓子パン(というのは昭和のオヤジだけか 笑)系が多く、食パンはどこのブースでも見当たらない。時間が遅いから売切れたのか、世の中の嗜好がこっち系に振れているのか。

有隣堂書店も地元だけあって、今年もしっかりとブース出展。でも今年は本を並べないで、パン関係のグッズ(クッションとか抱き枕とか)を売っている。最近の有隣堂は勇気があるなぁ。本以外でも勝負できる会社を目指している。

パンの事が良くわからないオヤジは、結局大きな「チョコリング」を6百円で買い求めて帰路に。今日は朝そもそも、家を出るところから出遅れ。本当は野毛で一杯、の予定だったのに無理じゃ(涙)。かわりに家で飲んだくれたら、そのままテーブルで寝落ち。。。

Img_4509 Img_4511 Img_4513 Img_4514

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「横尾忠則 幻花幻想幻画譚」(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)

2018/9/14(金)

1970年代前半は騒然とした時代だった。三島由紀夫の自決から始まり、オイルショック、田中角栄の辞任、ウォーターゲート事件。超能力ブーム。『ノストラダムスの大予言』。『かもめのジョナサン』も流行った。そして我々は1974年に中学生になった。

その1974年から75年にかけて、東京新聞に連載されていたのが瀬戸内寂聴の小説『幻花』。挿絵を担当したのが横尾忠則と。へ~。『幻花』は読んだことがないが、どんな感じなのか。ggg(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)へ顔を出してみよう。

ギャラリー内に入ると、銀座の喧騒は嘘のよう。照明が落とされ、『幻花』のあらすじ紹介と共に、横尾忠則の挿絵が。会場に流れるのは尺八や琵琶を使った音楽。武満徹「ノヴェンバー・ステップス」かな。一気に昭和の時代に引き込まれる。

『幻花』は室町時代の話。これが、あらすじを読んでいくだけで面白いのだよ。今度探して読むかな。そして、それに寄り添う横尾忠則の絵。物凄く繊細な線で描かれた独特の世界。これは凄いな。出てくる男女は70年代風であったり(笑)。仏像にUFOに文字の羅列。

様々なヴァリエーションで、全く飽きさせない。「モチーフの組み合わせは、横尾さんらしく融通無碍」とは平野啓一郎のコメントだが、まさしくそんな感じ。一枚一枚は小さな絵だが、これだけのヴォリュームを一気に見せて、入場無料。DNP、グッジョブ!

Img_4466 Img_4469 Img_4474 Img_4467

あれを見せられると、少しクールダウンが必要。高田馬場に移動して一杯やる事に。昔は馬場といえば「鳥安」が大定番。でもサカエ通りを奥まで行く気力が足りない。地下鉄駅から直結の「串鐡」で妥協しよう。「鳥安」の3号店。

黒ホッピーと「煮込み」でスタート。この根菜と手羽の澄まし汁の「煮込み」を食べないと、「鳥安」に来た気にはなりませんな。旨い。「白レバーポン酢醤油」もいきますか。ネットリとしたレバが、たまらん。

最後はもちろん、「焼鳥盛合わせ」。このヴォリュームと味で510円は、今時なかなかありませんぜ。ワシワシと食らう。ご馳走様でした。今日は「昭和」を感じる、なかなか良い夜であった。。。

Img_4489 Img_4484 Img_4486 Img_4488

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画「グリース」

2018/8/5(日)

映画が始まると、最初はアニメ画像。バックに流れるはフランキー・ヴァリが歌う「グリース」。いや~、懐かしい。1978年。自分が高校生の時の音楽だ。当時は、フランキー・ヴァリが何者かも知らず「変な声で歌うオッサンだな」と思ったっけ。

久々に午前十時の映画祭に参戦。今時「グリース」を見たい人が、そんなに沢山いるのかね、となめていた。でも、蓋を開ければソールドアウト。念のためネットで席を予約しておいて良かった(苦笑)。

オリビア・ニュートン・ジョンとジョン・トラボルタが主演の学園物ミュージカル映画。サマースクールでひと夏の恋に落ちた二人。オリビアは遠くオーストラリアに旅立っていくはずが、何故か同じ学校に転校してくる。よくある話やね。

その夏の思い出を学校で歌うのが「想い出のサマー・ナイツ」。この歌も流行りましたね。そもそも、この映画は圧倒的に「歌」が良く出来ている。オリビアもジョンも、ハイスクール生の設定は年齢的に無理ではと思ったが、オリビアはカマトトで違和感なし(笑)。

そして、二人の行き違いからオリビアが歌う失恋ソングが「愛すれど悲し」。大スクリーンでオリビアに歌われて、今日も涙が出たぞ。大瀧詠一「恋するカレン」と並ぶ、自分の2大失恋ソング。久々に聴いたな。ホープレスリー・デボイテッド・トゥ・ユ~。

シャ・ナ・ナの演奏をバックに踊るダンス・コンテストのシーンも良いなぁ。何せ「ロックンロール・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」も「ハウンドドック」も演るんだぜ。ゴキゲン(死語か)。そして、お約束の車レースがあって、あの怒涛のエンディングへ。

「愛のデュエット(ユー・アー・ザ・ワン・ザット・アイ・ウォント)」。言わずと知れた全米No.1ヒット曲。画面を見ないで聴くと「何じゃこの曲は」なんだけど、映画のこのシーンでオリビアとジョンに歌われるとイイんだよね。

自分は高校生の頃、「ビルボード」のヒットチャートにはまっていた。毎週土曜日はラジオ関東の湯川れい子の番組「全米TOP40」を欠かさず聞き、自分でノートにチャートをつけた。自分の音楽人生の半分くらいは、あの時の経験がベースにある。

70年代後半の洋楽のイントロあてクイズとかは、異様に強いぞ(笑)。だから、この「グリース」のサウンドトラックからのヒット曲の数々は、めちゃ懐かしいのだよ。いや~。この歳になって、あらためて映画館で観る事が出来るとはね。。。

Img_3920

| | コメント (0) | トラックバック (0)

念願のこの店で! 池袋「とんかつは飲み物。」

2018/7/23(月)

前に御徒町界隈で食べたカレー屋「カレーは飲み物。」。あれは旨かった。風の噂で、あのチェーン店がトンカツ業態を池袋に出店した、と。満を持して、今日は池袋で突入じゃ。池袋駅西口を出て、ロサ会館の先の方のようだ。

ありました。「とんかつは飲み物。」。入口の自販機で食券を買うシステム。ここは迷わずカツ丼系で。「たまごソースかつ丼」をチョイス。店は厨房を囲むL字カウンタと、奥にテーブル席。割と小ぢんまりした店だ。L字の角付近にいれてもらう。

目の前には貼り紙が。ほほ~。カレー業態同様、この店でもトッピングを3種類選べるのか。作戦を考えるデブオヤジ。やがて提供直前となり、トッピングを聞かれる。「ひじき煮付け」に「山形だし豆腐」「もやしナムル」をチョイスし、番号で伝える。

来ました。お~。カツ丼は蓋をしてあるが、そこから溢れんばかりの勢いだ。トッピングは小鉢で3つついてきた。それに味噌汁。では蓋を取って、と。ご飯の上にキャベツを敷き、その上にトロトロのプレーン・オムレツ。そして、その上に分厚いソースかつという感じ。

まずカツをガブリ。分厚いカツに絶妙に火が入っていて、柔らかくて旨い。ソースも、しっかりトンカツに合うね。そして、フワトロの卵。カツ丼の卵を閉じずに、この形でだすのはアイデアですな。イイね。

トッピング小鉢も、よいアクセント。ワシワシと食べ進み、楽々と完食。何よりもカツが旨いのが一番。これは、通って他のトンカツメニューも食べたくなってきたぞ。今日は良いカツ丼に巡り合えて、倶楽部カツ動も満足じゃ。

Img_2990 Img_2987 Img_2988 Img_2989

帰りもロサ会館前を。昼間に改めて見ると、思ったより小さいね。この辺りは、昔は新宿の歌舞伎町と並んで「危ないエリア」だったのだよ。それでも、会社の運動会(健保だけでなく会社独自でも、豊島園で毎年やっていた!)の帰りに、皆で打上げで飲みに来たなぁ。

あれは1980年代半ば位か。昭和の時代。事業所対抗形式の運動会だったっけ。終わって豊島園から移動してきて、まずはロサ会館内の大きな居酒屋で「お疲れ様でした!」。そして二次会で、同じ建物内のディスコにも行った事があるような朧げな記憶。

もう30年近く前のことだ。歌舞伎町も池袋も、治安が良くなり普通の街へ。それは成熟社会なのか管理社会なのか。あいも変わらず安い居酒屋に行くオヤジは、少し考えるのであった。。。

Img_2986 Img_2992 Img_2993

| | コメント (0) | トラックバック (0)

写真展「天空から見た新宿風景」(新宿歴史博物館)

2018/6/10(日)

これまでも新宿歴史博物館では、各時代別の街の風景写真を、何回かに分けて展示してきた。その展示がひと段落したのか、今回は切口をかえて「天空から見た新宿風景」という写真展を開催中。

「天空から見た」だから、航空写真とか上からのが多いけど、今まで通り街の懐かしい風景も見せてくれる。ほほ~。一番古い写真は1928年ですか。ここまで古いと、自分どころか、自分の親父も生まれていない。

よく、こんな昭和初期の写真が沢山残っているな。西新宿の広い池みたいなのが淀川浄水場。今の高層ビル街の所ね。パッと見で分らなくても、幹線道路とかランドマークで検討をつけていくと、大体今のどの辺りの風景かが分かるのが嬉しい。

戦時下で瓦礫の山と化した新宿。そして終戦。買出し列車や闇市風景。この辺は、話に聞いたとか映像で後追いで見た世界。でもそもそも我々が生まれたのは、実は終戦から20年も経っていなかったのだよ。何だかな。

徐々に我々も生まれた後の写真に。そうか。絵画館前の池は、子供用プールとして開放されていたのか。道理で我々が学生の頃、あの池に皆で飛び込んだ訳だ。幼児期の追体験なんですな(笑)。

東京オリンピックを契機に、街はどんどん変わっていく。新宿西口広場が今の形状になったのは、1960年代後半。そして淀橋浄水場がなくなり、超高層ビルが次々に建てられていく。それでも航空写真で見ると、高層ビル用地の周りは、結構平屋の家も多かった。

早稲田界隈や四谷界隈も。こうやって見ると、新宿区も結構広いね。200枚以上の写真で振り返る「街の変遷」。中野区も、サンプラを壊す壊さないとかいってないで、こういう過去の歴史記録を、しっかりと保存・展示してもらいたいものだ。。。

Img_3303 Img_3305 Img_3304

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画「セロ弾きのゴーシュ」(阿佐ヶ谷ユジク)

2018/6/2(土)

自分が幼い頃。オフクロの読み聞かせで覚えているのは『セロ弾きのゴーシュ』と『注文の多い料理店』。どちらも宮沢賢治の童話。オフクロが岩手県の出身だった、という事もあるのだろうか・・・

高畑勲が亡くなった。自分はジブリ系アニメをあまり見ていない。勿論、「トトロ」とかは子供と一緒に見たけどね。あと「アルプスの少女ハイジ」もリアルタイムで見ているか。そんな感じだから、高畑勲を語る資格はない。

でも、阿佐ヶ谷のミニシアタ「ユジク」での追悼プログラムには心を動かされた。そうか。「セロ弾きのゴーシュ」のアニメ版があるのか。これは一度、見てみたい。阿佐ヶ谷へ。「パンダコパンダ」人気もあったか、超満員の盛況。辛うじて、潜り込む。

物語が始まる。戦前の岩手辺りの田園風景。音楽はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。そうか。今更ながらゴーシュは、この曲がベースなのか。突然、雨が降り始める。曲に見事にシンクロ。高畑勲が描きたかったのは、この風景と物語なんだ。

ストーリィは原作に忠実に進む。そもそも「セロ」が楽器チェロの事だと、子供の頃は判らなかった。夜ごと訪ねてくる猫・カッコウ・狸の子に野ネズミの親子。そして「印度の虎狩り」もイメージ通りだなぁ。

いよいよ演奏会本番。そしてアンコールでのゴーシュの独奏(例の「虎狩り」ね!)。ここでゴーシュが動物達の訪問について悟るところが、良いのだよ。ほほ~。打上げでの飲み会のシーンもある。原作でも、このシーンはあるのかな。

約1時間の小品を堪能。久々に宮沢賢治を読み返して見るかな。

Img_3301 Img_3296 Img_3297 Img_3298

所沢へ移動して、遅い昼食というか軽飲み。何時もの「百味」。相変わらずの大繁盛で、珍しく厨房前のカウンタ席へ案内される。「トリカラ」に「厚揚げ」に「ツクネ」。これで昼メシ替わりというのは、体に悪いかも。。。

Img_3311 Img_3307 Img_3308 Img_3310

| | コメント (0) | トラックバック (0)

母校を訪ねて偲ぶ 中野「まいける」

2018/6/1(金)

日が長くなったとはいえ、下校時間はとうに過ぎた。校庭には人っ子一人いない。ここは我々の母校・桃園第三小学校(現・桃花小学校)。校庭の形状はかわったが、校門脇の大けやきは、何とか生き残っている。

我々の高学年の頃。一時、校庭の工事で入口が五差路方向の通用門になっていた時期もあった。ここも夕暮れ時。少し五差路の方に進むと、桃園緑道。学校帰りに、何度となく通った場所。何処もあまり変わらない。それなのに同級生が一人、旅立っていった・・・

Img_3275 Img_3276 Img_3277 Img_3278

本当はお通夜に行こうと思った。でも、あまりに急な事で代表が行く事に。別々の中学校に進んだけど、3年前にクラス会で奇跡の再会。来月には、皆で久しぶりに飲もうと言っていたのに。皆で遊んだ母校に顔を出し、近場で献杯じゃ。

桃園緑道から中野通りに出て、五差路の方に少し進んだ路地。「かわ焼き まいける」を選択。オープンした頃に一度来て以来。4年以上来ていなかったか。口開けに客となりカウンタに。黒ホッピー。まずは献杯。やるせない。

メニューを見て、アテは「鳥刺し4種合い盛り」をハーフサイズで。「モモたたき」「ムネたたき」「ささみ」に「鶏生ハム」。そして、小学校時代の学校給食メニュー「ハムカツ」。給食のは、こんなに厚切りではなかったけどね。でも懐かしい味(涙)。

最後に、この店の名物「かわ焼き」を2本。我々は、まだ56~7歳だぜ。悲しみがとまらない。。。

Img_3287 Img_3281 Img_3284 Img_3286

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「超高層ビルは都市をどう変えたのか」(日比谷カレッジ)

2018/5/23(水)

霞が関ビル誕生から今年で50年になる。日本で初めて150mを越えたビルが出来たのが1968年。自分が小学校にあがった頃の話だ。あの頃は、高度成長期ではあったが、騒然とした時代だった。自分にとっては1971年の京王プラザホテルの誕生の方が身近。

そんな50年というタイミングをとらえて日比谷カレッジで講演会。「超高層ビルは都市をどう変えたのか」。講師の大澤明彦は思ったより若い。自分より一回り年下か。そういえば、この人の著書『高層建築物の世界史』。家で積読されているな(笑)。

超高層ビルの定義から始まって、その歴史。高さ150m超のビルは世界で約4,200棟。その3/4は2000年以降に建設されている。しかも、そのほとんどはアジア・中東で、中心は中国。超高層ビルは「新興国が作る」。だから日本もあの時、霞が関ビルを作ったと。

超高層ビルの源流は19世紀末アメリカの摩天楼。産業革命以降の「高層ビルを創る技術の進歩」と資本主義経済の確立による「高層ビル需要と建設資金」が背景。「エレベータ」と「鉄骨造」の技術がブレイクスルーだった。

ひるがえって日本では、100尺(31m)の高さ制限と、地震や台風などの災害対応の両面から、超高層ビルの誕生が遅れた。今でも丸の内などの昔のビル街では、綺麗に31mに高さが揃っていると。ほほ~。

これに対して「柔構造理論」に基づく構造計画の進歩と、「高さ」規制から「容積率」規制への転換によって、ようやく霞が関ビルが誕生した。その後、貿易センタービル、新宿の高層ビル街、サンシャイン60と続き、今一番高いのは、あべのハルカスの約300m。

1980年代までは超高層ビルの用途はオフィス・商業ビルが大半。それがバブル期以降、住宅を有する高層ビルが増加し、2000年以降の高層ビルの約6割はタワーマンション。これによって、人々の都心回帰が起こった。この流れに乗り遅れたオヤジが一人。

今、東京駅のそばの常盤橋地区に建設が始まっている再開発ビルは約390mだと。御茶ノ水から東京駅・日本橋方面に散歩する時に通る辺りね。あそこは、そんなに馬鹿でかいビルになるのかぁ。

超高層ビルの乱立は、都市の景観を大きく変えてきた。確かに、東京タワーとかは埋没しとるしな。霞が関ビルだって「どれだっけ?」という感じ。今後の課題は、人口減少社会の中での超高層ビルの高齢化問題だ、と最後に語る。

確かに人口減少社会では、都市のコンパクト化による効率化が必要。でも、日本で誰が旗を降れるのかいな。街同士の利害調整や、過去のしがらみの調整。過去の「ニュータウン」計画のなれの果てを見れば一目瞭然。

「大きい事はいい事だ」という時代ではなくなったのだよ。。。

Img_3205 Img_3207 Img_3208

| | コメント (0) | トラックバック (0)

無念の完封負け・・・

2018/5/16(水)

昭和の子供の好きなものは「巨人・大鵬・卵焼き」と言われたもんじゃ。といっても今の若い衆には何のことか判らんか。「巨人」は「進撃の巨人」とは全く関係なく、野球の読売ジャイアンツ。老若男女、毎日テレビで巨人戦見てました。これ本当の話。

だから生まれて初めて野球を見に連れて行ってもらったのは後楽園球場。念のためいうと、今の東京ドームの前身で、当たり前だけど屋根がないので雨だと中止だった。カクテル光線に輝くグランドで、本物の王や長嶋を見た時は、結構感動した(遠い目)。

しかし、へそ曲がりのオヤジはある時から急にライオンズファンに宗旨替え。小学校の高学年か中学生の頃かな。西鉄から身売りされ、太平洋クラブ→クラウンライターと球団名が点々とする。体の前面に番号を書いたユニフォームは「腹番号」と言われ馬鹿にされた。

そんな辛い時代を経た我がライオンズ。1970年代の終わりに西武に買収され、本拠地も所沢に移してくる。そこからの黄金時代も、今の若い衆はしらんか。80~90年代に毎年のように、何度も日本一に輝いた。今の辻監督も、その黄金時代の一員だ。

近年の低迷ぶりにはファンとして心が痛む。しかし今年は何故か、開幕から破竹の勢いでスタートダッシュ。おいおい。久しぶりに期待させてくれるでないの。でも、流石にここに来て、息切れか。エースの雄星も一時的に戦列を離れてしまったしね。

昨晩は、東京ドームのすぐ傍にいながら観戦はかなわず。何でも完封負けしたとか。昨晩の蛮行で、体調は最悪。これは飲みに行く気にもなれん。そうだ。ドームに行ってライオンズの応援だ。東京ドームで見られるのは、年に1~2度の限られたチャンス。

コンビニで食料を買い込んでドームへ。チケットあるのかな。金もないので一番安い席で十分なのだが。当日券売場で、内野自由席のチケットを1,800円でゲット。2階席だが、十分じゃ。ビールより安いハイボールを買って、いざ応援。

先発の十亀は、よく頑張った。しかし打線が打てんなぁ。日曜日の5回裏に点を取って以来、一体何イニング「0」がスコアボードに並んでいるんだ。「お。清宮か」とミーハーに見ていたら、7回裏に右中間に大飛球を打たれ、それを秋山がまさかの落球(涙)。

結局3塁までいかれて、その後に犠牲フライを打たれて決勝点をとられた。9回に必死の反撃でノーアウト1塁2塁。しかし、ここまで。結局2日続けて完封負けじゃ。無念。今度は西武球場(と今は言わんのか)のホームで、また応援だな・・・

ちなみに「大鵬」は相撲の名横綱。昔は相撲は物凄くポピュラーだったのだよ。小学校の昼休みに、校庭に土俵を書いて相撲したり。だから皆、相撲の技にも詳しかった。年に一度、小学校に本物の力士が餅つきに来ていたなぁ、あの頃は。校庭で皆で見たっけ。

「卵焼き」は我々の世代では、やや疑問視されていた。カレー派が多かったから。。。

Img_3128 Img_3129 Img_3132 Img_3134

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧